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ホモ・サピ゚ンスずいう「私」


什和、新倩皇即䜍 オリンピックなどなど、今幎は䜕か新しい兆し・物語が垣間芋える幎、、、ず、䞖間では期埅しおいるようです。期埅ですから、「良いこずが起こりたすように」ずいうこずになりたすね。 誰も「悪いこずが起こりたすように」などずは期埅したせんから。 「期埅」ずは個人的な䞻芳そのものですから、人生呜それぞれかなり違っおくるでしょう。 でも、新しい幎に察する䜕か䞖間的な期埅ムヌブメントが流れおいるようです。

しかし、新倩皇即䜍、新元号什和など、䞖界にずっお画期的なむベントではありたせん。 ですから、䞖間䞖界ではなく「日本」では、ずいうこずなのでしょう。 ずにかく私たちはこのような「物語」を創るこずが埗意です。 それが「人間」ずいう生呜の仕組みなのです。 ずころで、私たちは私を「人間」ずいう生物ずしお芳おいるでしょうか。 これはずっず以前から気になっおいるこずの䞀぀でもありたす。

生物孊的に蚀えば私たちは「ヒト」孊名 : Homo sapiensホモ・サピ゚ンスずなりたす。 孊名はラテン語で瀺されたす。 ちなみに「むヌ」は「canis カニス」、「ネコ」は「Felis catus フェリス・カトゥス」、「サル」は「macaca fuscata マカカ・フスカタ」ずなっおいたす。 ですから、私たちも犬、猫、猿などず同様「生物」に違いはありたせん。 それは、人間が「ヒト」ずいう生物であるず認めおいるずいうこずですね。 生物ずいう分類、そしお生物を分類しおいるのは、他ならぬ人間ですから。 しかし、私たちは「ホモ・サポ゚ンス」ずいう生物から「私」ずいう存圚を芳るこずはしたせん。 そもそも、ホモ・サピ゚ンスなどずは思っおいないのです。 「私」ずいうこずはよく蚀いたすし、聞きたす。 「私」を知りたい、本圓の「私」に出䌚いたい、「私」をもっず奜きになりたい、「私」を向䞊させたい、、、。 このようなセリフは頻繁に聞かれたす。 それは今に始たったこずではないでしょう。 おそらくギリシアやむンドなど、哲孊が高床に発達したある域たで達した時代以前からあった問いでありセリフだったのでしょう。

しかし、哲孊が高床に発達した時代にあっおも、私を「生物」ずしお芳るこずはなかったように思いたす。 あくたで、「私」を抂念で捉えお「私」を探求しようずしおいたように思いたす。

ですから、哲孊の話はやたらず小難しく、耇雑、そしお堂々巡りで、議論が未だに絶えず、゚ンドレスにただただ文字・蚀葉だけが氟濫し、さたよっおいるようです。 では、「私」をHomo sapiensホモ・サピ゚ンスずいう生物で芳るずどうなるのでしょう。 ナバル・ノア・ハラリずいう方がいらっしゃいたす。 『サピ゚ンス党史』『ホモ・デりス』ずいう本の著者です。 これらの本は环蚈2000䞇郚販売されおいるずいう超ベストセラヌです。 ですから、すでにお読みになっおいるかも知れたせんし、本のタむトルなど聞かれたこずがあるかもしれたせん。

ハラリさんはこれらの本を通しお、特に『サピ゚ンス党史』を通しお、私たち人間をホモ・サピ゚ンスずしお芳察しおいたす。 私たちに最も近い人類が「ネアンデルタヌル人」ず蚀われおいるようですが、「ホモ・サピ゚ンス」ずはたるでほずんど別の人類ずいうこずらしいです。遺䌝子的にもほずんど違っおいるようです。

このネアンデルタヌル人は玄䞇幎前に絶滅しおしたいたした。

ずいうこずで「ヒトhomo」で生き残っおいるのは、私たち「ホモ・サピ゚ンス」だけずいうこずになりたす。 そしお、この「ホモ・サピン゚ンス」ずいう生物は、なんずこの地球に倚倧な圱響を及がす生呜にたで成り䞊がっおいるのです。この地球を滅がすこずたで可胜な生物になったのです。 では、なぜそのようなこずが可胜になったのでしょう。 私たち䞀人ひずりはずおもちっぜけな存圚でしょう。

空を飛べるわけでもなく、ずお぀もなく匷い腕力を持぀わけでもなく、他の生物を圧倒するスピヌドで走るこずができる脚力を持぀わけでもなく、どんな物音も聞き挏らすこずのない聎力を持぀わけでもなく、ほんの埮かな匂い・銙りを刀断する嗅芚もなく、遥か圌方を芋る芖芚も持ち合わせおいたせん。 これら党お他の生物より圧倒的に劣っおいるず蚀えるでしょう。 このようにみるず、私たち「ホモ・サピ゚ンス」ずいう生物は生存ずいうこずを考えるず、ずおも匱い、無胜な生物ず蚀えるように思いたす。 ネアンデルタヌル人の方がこのような胜力ははるかに䞊だったようです。

しかし、ネアンデルタヌル人は絶滅し、そしお、非力な私たちが生き残り、偉そうに生きおいるのですね。 それは、「ホモ・サピ゚ンス」には他の生物には絶察にない、䜕か特殊な胜力があったからに他なりたせん。 その特殊な胜力ずは䜕か。 「考える胜力」 だず思われるず思いたす。 しかし、考える胜力は他の生物チンパンゞヌなどにもありたす。 ハラリさんはこのように蚀いたす。 「虚構を信じる胜力」ず。 虚構ずは事実ではないこずですね。 「䜜りごず」です。 ぀たり、ありもしないもの、あるかどうかわからないもの、想像䞊のもの、、、です。

それを信じる胜力を私たちホモ・サピ゚ンスは持っおいお、その胜力があったからこそネアンデルタヌル人を出し抜いお他の生物を圧倒するたでに成り䞊がった、ずハラリさんは蚀われるのです。 さお、ここでブッダダンマを孊んできおいる方は気づくのではないかず思いたす。 「虚構」「劄想・捏造」ずいうこずでは、ず。 その通りなのです。 私たち人間が他の生物生呜ず圧倒的に違うのは「劄想・捏造」する胜力なのですね。 そしお、その胜力があるからこそ「人間」ず呌べるのです。

しかし、それは偉そうに胞を匵っお誇るべきこずではありたせん。 ブッダを孊んできおいる方には、理解できるこずだず思いたす。

なぜなら、劄想が私たちを苊悩させる因ずなるだからです。 「虚構を信じる胜力」こそが、唯䞀ホモ・サピ゚ンスの胜力だず発芋したハラリさんの芳察県はかなり鋭いものです。 実は、ハラリさんは瞑想者でもあるのです。 ノィパッサナヌです。 ですから、圓然テヌラワヌダ初期仏教ずも少なからず瞁があるず蚀えるでしょう。 ちなみに、ハラリさんはゎ゚ンカ垫系のノィパッサナヌをされおいるようで、その指導者ずしおの資栌もお持ちのようです。 瞑想指導者でもあるわけです。 来日された時、察談やむンタビュヌなどの合間のほずんどの時間は、瞑想をされおいたようです。

ハラリさんは最近の著曞『Lessons』の䞭で次のようなこずを曞かれおいたす。

「私は2000幎に初めお講習ゎ゚ンカ瞑想合宿を受けお以来、毎日2時間瞑想するようになり、毎幎か月かか月、長い瞑想修行に行く。瞑想は珟実からの逃避ではない。珟実ず接觊する行為だ、、、、、瞑想の実践が提䟛しおくれる集䞭力ず明晰さがなければ、『サピ゚ンス党史』も『ホモ・サピ゚ンス』も曞けなかっただろう。」ず。

私もゎ゚ンカ垫故人の瞑想合宿に参加したこずがありたす。 ちなみにゎ゚ンカ垫は出家者比䞘ではありたせん。 圚家者です。 元々は敬虔なヒンドゥヌ教埒だずいうこずです。 そのせいかどうか分かりたせんが、毎晩行われるダンマトヌクの䞭でも、あたりブッダ釈尊個人のこずは出おきおいないように思いたした。

テヌラヌワヌダでももちろん「ダンマ」を䞭心ずした法話になるのですが、ブッダ釈尊個人ぞの「信saddhā」がずお぀もなく匷いず思いたす。 ブッダ個人が倧奜きなのです。 倧垫匠であり、母であり父であり、姉であり兄であり、善友であり、、、。ずいったそんなずおも身近な存圚なのですね。 そのようなこずはゎ゚ンカ垫の合宿では感じられたせんでした。 あくたでブッダ釈尊ではなく「ダンマ」が䞻なのです。 もちろん間違っおはいたせんが、、、。 ちょっず「ホモ・サピ゚ンス」から話がずれおしたいたした。 いずれにしたしおも、ナノァル・ノア・ハラリさんずいう方が「新たなる知の巚人」呌ばれ、著曞や講挔等を通しお䞖界に圱響を䞎えおいる事実はずおも私にずっおずおも嬉しいこずです。

随喜したす。

Sādhu! Sādhu! Sādhu! サヌドゥサヌドゥ サヌドゥ

ハラリさんは著曞『Lessons』の䞭でこんなこずも蚀っおいたす。 「人生は物語ではない」ず。 これもたさにですね。 ノィパッサナヌをしっかり真摯に実践されおいるのがよく分かりたす。 物語は個人個人の䞻芳が創䜜した「䜜りごず」です。 ぀たり「虚構」なのです。

事実・真実に「物語」はありたせん。 あるのは因果法則・瞁起だけなのです。 「私」を知りたいのであれば、その前に「私」は生物であるずしっかりず自芚するこずです。 そしお、その生物は䞀䜓党䜓どのようなものなのか、劂実に芳察するこずです。 そのプロセスを通過しないで、どうしお「私」なるものが分かるのでしょうか。 「私」ずはその生物が存圚しおいるから珟れるのですから。 生物が存圚しなかったら「私」などずいうものも珟れようがありたせん。 ホモ・サピ゚ンス人間ずいう生物生呜を自ら劂実に芳察しおみたしょう。 その結果、䜕を発芋するのでしょう。 ちなみにその答えはすでに出おいたす。 ブッダ釈尊が説かれおいたす。 「人間を超えるこず」ずブッダはそう説かれたす。 なぜそのようなこずを説かれるのか、人間ずいう生呜私を劂実に芳察されるこずで理解できるのではないでしょうか。

「人間を超えるこず」「人間ではなくなるこず」「人間を脱出するこず」それが究極のゎヌルであり、目先の少々の幞犏に劥協せず、真の揺るぎない安寧・幞犏、そこをしっかり目指しなさいず説かれるのです。 そのためにはブッダの説かれたダンマに添い実践するしかありたせん。 是非、これからもダンマの実践続けおいっおいただきたいず思っおいたす。 たた、今埌もブッダのダンマに觊れられる機䌚を蚭けおいきたいず思っおいたす。 その際には、是非ご参加ください。 ブッダの教えは生呜にずっお”必芁䞍可欠”なものです。 倚くの方々生呜がブッダのダンマに觊れられるこずを願っおいたす。 そのための機䌚を蚭けるこずができたらず思っおいたす。 たた、お䌚いできる時を楜しみにしおおりたす。

すべおの祝犏が皆様にありたすように。

井柀アリダワンサ 远䌞 ナノァル・ノア・ハラリさんのTED動画です。 日本語字幕蚭定できたすので、是非ご芧ください。 「虚構」に぀いおきっぱりず話されおいたす。

Naoki Izawa 井柀盎暹
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  ãƒ ã‚µã‚³ã‚žã§ã™ã€‚倚くの方々に心の解攟を埗おいただき、矎しく自由自圚な人生を歩んでいただきたいず思っおいたす。

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