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後悔


こんにちは。

“こころ”のエバンジェリスト ムサシコジローです。 

ゴキブリというと、ほとんどの人が毛嫌いするでしょう。 大好き、という人に出会ったことはありません。 これも私たちの業(カルマ)のあらわれです。 ゴキブリに対するイヤ、気持ち悪い、おぞましい、 などといった印象がカルマとして蓄積されているのですね。 もし、ゴキブリくんかわいい、といった想いがあらわれたら、 その方の過去のカルマが、同じようにあらわれたのです。 ちなみに一人ひとりこころが違いますから、 当然、あらわれるカルマも違ってきます。 ゴキブリに対して強烈に憎悪を燃やす人がいたり、 強烈に逃げようととしたり、 絶対、殺そうと決意したり、 やはり、反応は様々で一人として同じではありません。 ゴキブリと人間には、なにかしら深いつながりがあるのです。 ちなみに、ゴキブリくんはただのゴキブリくんですから、 彼(彼女)そのものが憎悪、嫌悪ではありません。 憎悪、嫌悪、恐怖は私たちのこころのはたらきなのです。 不善心なのです。 そういえば、最近よくあらわれていたゴキブリくんがあらわれなくなりました。 この前、彼の目と私の目が合いました。 奇妙な感じでした。 何か寂しさを訴えてましたね。 その数日後、彼がお腹を上にしてもがいていましたので、外に出してあげました。 それ以来あらわれません。 彼は他の生命に生まれ変わったのかもしれませんね。 幸せでありますように。 では、biブログ送ります。 今回は、、、

【後悔】 というテーマで書いてみます。 後悔という言葉はよく聞きます。 そして、それが日常語のように使われています。  つまり、後悔することは当たり前だし、 それはある意味正しいこと、と受け止めているようにも思います。 ですから、後悔している人をみると、 慰めもしますが、誉めたりもします。 しかし、後悔は正しいことなのでしょか。 ちなみに人間を不幸にする心所(こころの中身)というものが四つあります。 その中のひとつが“後悔”なのです。 たとえば、何か新しい機会(出来事)に遭遇したときなど、 「あの時、ちゃんと学んでいたらきっとこれできるだろうな」 などと思ったりすることがあります。 そんな時には、ほとんどその機会にトライしてみようとは思わないはずです。 後悔してる時点で「できない」と思っているのですから、 トライすることはしません。 後悔するというのは、後ろ向きのエネルギーです。 そして、活動を抑えてつけてしまうエネルギーなのです。 後悔は過去の出来事に対して起こるもので、 未来を後悔するということはありません。

では、少し過去を振り返ってみてください。

どうですか?

おそらく、ひとつも完全に“うまくいった”などいうのはないのではないですか。 うまくいったかもしれない、と思うことはあるかもしれませんが、 かもしれない、という言葉の背景には後悔があるはずです。 たとえばビジネスをスタートし、すごく努力して、頑張って、 経営が軌道にのり、ビジネスの世界で大きな成功をおさめたとします。 でも、きっとあの時ああしたらよかった、こうしたらよかったと、 過去の出来事が浮かんでくるはずです。

家族に迷惑をかけたこと、従業員に辛くあたったこと、取引先を粗雑にしたこと、 ライバル会社を蹴落とそうとしたこと、、、 このようなことが浮かんでくるのではないでしょうか。 後悔は、とても暗く重いエネルギーです。 それは猛毒とも言われるものです。 軽安なものではありません。 ですから、活動できなくなるのです。 鬱滞してしまうのです。 後ろ向きになってしまうのです。 しかし、、、 「悪いことをしたのだから、後悔するのはあたりまえではないですか」 と思うのではありませんか。 それが、一般的ですね。 でも、後悔して何か善いことがあるのでしょうか。 何か間違えた行為に対しては、 すでに反省しているはずです。 間違った行為を今後改めればいいだけです。 当人もそのことは重々分っています。 一番、辛いのは当人ですから。 何か失敗した。 それを改める。

それで終わり。 一件落着。 はい、スッキリ。

でも、それでスッキリ終わらないのです。 金魚の糞と同じです。 糞切れがよくないのです。 潔くなれないのです。

失敗した行為に、強い粘着力のある煩悩をくっつけるのです。 煩悩は執着となります。 執着は何度もしつこく再現したくなるものです。 後悔はそんな執着のあらわれなのです。

そして、それは怒りという不善心所です。 後悔は怒りなのです。 過去の失敗に対する拒絶、拒否、反発。 それは怒りなのです。 怒りは猛毒です。 怒りは消す事が難しい炎です。 そして、まわりに伝染するウィルスなのです。

暗く重いエネルギーです。 後悔すればするほどこのエネルギーは膨らんでいきます。 それは、とても危険なことです。 どこかで、止めないと精神的な病につながっていきます。 後悔はこのように恐ろしいものです。 ですから、まわりの人に対しても気をつけなければなりません。 たとえば、職場で仕事を失敗することがあります。 そんな時、もしあなたが失敗した人の上司だとしたら、 どのように言いますか。 「失敗したんだから、これからはちゃんとやりなさい!」 と言うのではないですか。 それが、一般的だと思います。 しかし、本人が自分の失敗を認めているのなら、 そういったことは余計なことになります。 誰だって、最初から「失敗します!」と言って仕事をすることはありません。 「うまくやろう!」「しっかりやろう!」と思って始めるのです。 でも、失敗してしまった。 落ち込んでいるのは本人です。 沈んでいるのは本人です。 後悔しているのは本人です。 後悔の炎に包まれているのです。 それに、追い打ちをかけるように、 後悔の炎に油をかける。 そんな行為になってしまいます。 相手をさらに苦しめることになるのです。 このように、後悔は、自分だけではなく、 まわりに対しても注意しなければならないことです。 いずれにしても後悔は暗く重い心所です。 では、どうしたらいいのでしょう。 明るく軽い心所を育てればいいのです。 たとえば、、、

「お前あの時とんでもない失敗やらかしたなあ」 と言われたら、

「そうです。本当にそうなんです。○○が原因でとんでもない失敗をやらかしてしまいました」 と素直に正直にそして堂々と認めるのです。 軽安、軽快の心所で正直に認めるのです。 そしたら、とてもスッキリします。 こころが軽く安らかになります。 “金魚の糞”状態から抜け出せます。

ということですから、後悔するのを止めれば幸福になるわけです。 人間は完璧ではありません。 間違いだらけです。 私たちが必死になって完璧を求めても、 それは不可能なのです。 でも、もちろん努力する事は必要です。 何度も言いますが、努力するこころが、 後悔という暗く重い心所では善くありません。 後悔は捨てて、明るく軽く正直な心所で努力するのです。 そのこころがあなたを幸福な人間に育ててくれます。 後悔はあなたを不幸な人間にする、 四つの心所(こころの中身)のひとつなのです。 それを、忘れないでください。

後悔は、大きな広い心を育てることで退散していきます。 「無量のこころを育てる」集中講座。 お読みになってみてください。 こちら すべての生命が幸せでありますように。


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