生き方のタイプ
こんにちは。
自由自在な人生エバンジェリスト ムサシコジローです。
梅雨入りしているのですが、 雨が少ない日々が続いています。 日々の天候という現象も、 深く観察していくと、喜びの感覚に変わってくるのが分かります。 常に生滅し続ける現象。 そのままを観るというのはとても難しいのですが、 そんな喜びをもたらしてくれるものだと思います。 では、biブログ配信させていただきます。
今回は、、
「生き方のタイプ」 というテーマで書いてみます。
私たちは今ここに生きています。 それは、まぎれもない事実です。
私は死んでると言う人もいますが、 その方もちゃんと生きています。 生きているわけですから、 どう生きたらいいのか、というのがテーマになります。 「どう生きたらいいのか」というテーマを考えようとしたら、 「私たちは何のために生きているのか?」ということが、 明確にならないといけません。 これは、人間にとって最大の疑問と言えるでしょう。 また、永遠のテーマと言えるでしょう。 そのような疑問は、自分に対して投げかけるべきものです。 かと言ってそれは強制されるものではありませんから、 自分に問いかけようが問いかけまいが、それは別に構いません。
“自業自得”という言葉があるように、 自分が行った行為が自分に結果として現れるだけです。 このように“生きる”ということをテーマにした場合、 そのテーマに対してどう捉えるかで、 その方の生き方が顕れます。 タイプは四つあるように思います。
ひとつは、生きることに忙し過ぎる人です。 仕事や日々の生活やらで朝から晩まで必死になっている人です。 ですから、そのようなことを考える暇も余裕もないのです。 忙しさに追いかけられているのですね。 ふたつめは、ただ単に流されてぼんやりと生きている人です。 ただ流されて生きているわけですから、 自分の力で考えてみよう、というのがないのです。 この二つのタイプは、生きる目的に気づかないで一生を終えるタイプです。 それとは逆なのが、生きる目的に問いかけてみる人です。 ひとつは、、、 いろんなことをやってみるのですが、うまくいかないのです。 失敗ばかりします。 そうして失敗が重なっていくので落ち込みます。
そこで、考えるのです、、、 「自分は一体何のために生きているのだろうか?」 意識することなく、自分に対する問いかけが始まります。 いろんなことをやることができない人もいます。 一歩踏み出すエネルギーが弱い(薄い)のです。 また、失敗するのも怖いのです。 ですからその逃げ道として、 「なんのために、私たちはそんなに必死になって生きていなければならないですか?」 と疑問を投げかけるのですが、投げかける相手は自分ではなく他者になるようです。 自分を隠したいのです。 でも、やることができない人の中にも違ったタイプもあります。
このような人がふたつめのタイプとなります。 チャレンジしたくないとか、 失敗するのが怖いからということではなく、 考えている人です。 人間は一体なにをやっているのか? 生まれてから死ぬまで何をやっているのか? そんなに必死になる意味があるのだろうか? そのようなクールな心があって、明晰な視点で考える人。
そういうタイプの人です。 “生き方”という視点からみてみると、 このように大きく四つに分けることができると思います。 しかし、もっとシンプルに表現するとしたら、 「ぼんやり考えて生きている」か「シャープに考えて生きている」かです。 ぼんやり考えて生きている人は、 「まわりに流されるて生きている」と言えます。 それは混乱・迷った思考で生きているとも言えます。 シャープに考えて生きている人は、 「まわりはどうでもよく、本当の流れを自ら探して生きている」と言えます。 それは澄んだ知性で生きていると言えるでしょう。 このように“生き方”という視点で今回少し書いてみました。
もちろん、どのような生き方をするのかは、その人次第です。 ちなみに“生き方”を心の世界から観てみると、 ぼんやり考えて生きている人の心は不善な心と言えます。 シャープに考えて生きている人の心は善の心と言えます。 当然ですが因縁、因果法則が働くわけですから、 それぞれの人生にそれが結果として顕れることになります。 ただそれだけのことです。
では、今回はこの辺で失礼します。
今日もこの瞬間を観てすごしましょう。
すべてのものが幸せでありますように。
<追伸> 高いレベルの心に成長するための一日集中実践編が7/30(日)開催されます。 「自分とはなんだろう」「なぜ自分探しをするのだろう」 そのような疑問に対する気づきがきっとあるはずです。 心のはたらきについて、少し書いてありますのでお読みいただけたら幸いです。 ⇒こちら