自己実現は必要か?
こんにちは。
自由自在な人生エバンジェリスト ムサシコジローです。
庭の木がなくなってしまいました。 とても気に入っていた樹です。
そして、触れたり、話したりした樹でもあります。
木の根が元気に伸びてしまって、 水道管を圧迫して水漏れしていたのです。
緑の葉とその葉陰がいつも静かな空間を創ってくれていました。 少し寂しくなりますね。
では、BIブログ贈ります。 今回は「自己実現は必要か?」ということについて書いてみます。
ほとんどの方が“何か”をしなければならない、 と思っているのではないかと思います。
あなたもそうではないですか? それが自己実現。
この人生で“何か”をすること、 成し遂げること。
それが自己実現?!
さて、自己実現という言葉で思い出すのが、 A・マズローです。
マズローはアメリカの心理学者です。 彼の「欲求段階説」の中で、 この自己実現欲求というのが出てくるわけです。
そして、自己実現は最高次の人間の欲求という位置づけになっています。
マズローの言う自己実現とは、、、 「自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、 具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求」 となっています。
マズローは心理学者という立場でこのように定義したわけです。
また、最近ではこの“自己実現”という言葉は、 経営学の中のモチベーション論、リーダーシップ論、 マーケティング論でなどでも頻繁に使われています。
そんなこともあり多くの人が、 自己実現という言葉に敏感に反応するようです。
マズローは言います、、 ・能力 ・可能性 ・最大限発揮 ・具現化 ・なりえるもの にならなければならない と。
能力? 可能性? 最大限発揮? 具現化?
自分がなりえるもの、、、???
さて、なんでしょう? 多くの人がそこにはまりこんでしまいます。 その迷路から抜けられなくなってしまいます。
そしてあせります。 必死になります。 不安になります。
自分らしく、なりえるものにならなければならない、と。
例えば、あなたが 富、地位、名声、権力を手に入れたとします。
それは自己実現でしょうか?
そして、それらを手に入れたとして、 あなたの中の欠乏感は消えるのだろうか?
欲求は「自分は何か欠けている」という欠乏感があるから浮かび上がってきます。 不足しているものがなにもなかったら、 欲求は浮かびあがってきません。 マズローは、人間が求める欲求を段階的に満たし、 最終的に求める高次の欲求を自己実現欲求としました。 いずれにしても、何か欠乏するから欲求が誕生するのです。 それは、低次であれ高次であれ同じ理屈です。
では、、、 富、地位、名声、権力が欠乏感すべてを満たしてくれるだろうか?
また、あなたが、、、 偉大な事業家、 偉大な画家、 偉大な詩人 偉大な作家、 偉大な音楽家などになったとして、 あなたの中の欠乏感は満たされるだろうか?
ここで注意しなければならないこと、 きちんと観ていかなければならないこと、 考えてみてください。
それは、、、
自己とは? 自分とは?
です。 それが明確になっていない限り、 “自己実現”はありえないということです。
つまり、富、地位、名声、権力や、 偉大さを手に入れることが、 必ずしも自己実現ということではないということです。
あなたは地位ですか? あなたは富ですか?
それらはあくまで一部です。 それもほんのわずかな一部です。
ブッダは覚りを開いたのち、 ある地にやってきました。
そこの王がブッダを訪れてそして尋ねます。
「見たところ、あなたは何も持っていない。 それはまるで乞食と同じだ。
にもかかわらす、あなたに比べれば、 私は自分のことを乞食のように感じてしまう。
あなたは何も持っていない。 だが、その歩き方、その目のやり方、 その笑い方を見ていると、 まさに全世界ががあなたの王国であるかのようだ。
あなたは目に見えるものはなにも持っていない。何もだ! いったいその力はどこにあるのか。あなたは帝王のように見える」 それにブッダは言います。
「それは私の中にある。私の力、その力の源泉、 およそあなたが私のまわりに感じるものすべては、 私の中にある。 私は自分自身の他に何も持っていない。 それで充分だ。 私は成就した。 もはや何物も求めない。 私は無欲になった」 これが自己実現の本来の在り方です。 何かを手に入れることでも、 偉大な何かになることでもありません。
逆に何も持たないこと。 自分自身そのものに成就すること。
あなたという種を成就すること。
ここで改めて問われるのが、 自己、自分とは何かです。
種とは?です。
それは、よく言われる 他と違った強み、個性、才能のことではありません。
これらはあくまで後づけされたものです。 あなたが育ってきた、物理的心理的環境の中で生まれたものです。
それ以前のもの。
つまり無垢そのもの。 種そのもの。
そこに“真のあなた”が存在するのです。
私たちは「真の自分」にならない限り、 全的に満たされることはありません。
全的に満たされない限り、 あなたは欠乏の奴隷になるでしょう。 それは、一部満たされたとしても意味をなしません。 富、地位、名声、権力などといったものは、 意味をなしません。
つまり、自己実現とは、、、 「全的に満たされること」 「無垢そのものに回帰すること」 「種そのもになること」 なのです。 だから、そういった意味では自己実現は必要です。
なぜならそれが真の幸せ。 ブッダの言う至福。 イエスの言う神の王国への扉になるからです。
でも、富、地位、名声、権力、 偉大な事業家、 偉大な画家、 偉大な詩人 偉大な作家、 偉大な音楽家などといったものになること、 手に入れることを自己実現とするのなら、 それは必要ありません。
そこに囚われること、 それ自体奴隷なのですから。
そして、それは「無垢な自分」からの別離を意味するからです。 真の幸せへの扉を開くことができるわけありません。
マズローは晩年になると、 自己実現欲求を超えた、 さらに高次のものが存在すると言います。
それは、、、 「自己超越」という段階です。
マズローの言う自己超越とは、 “在ること”の世界を知り、 その世界を生きていること。
となります。
つまり、この私が“在ること”を生きることです。
無垢な自分に回帰する時、 その“在ること”を鮮烈に体験することになります。 この鮮烈な体験のことを“恍惚感エクスタシー”と呼んだりします。 神秘体験と呼んだりします。
本来の自己実現を体験する過程があるから、 自己超越という次元につながるのです。
その過程を経ないかぎり、 自己超越といった次元を味わうことはできないのです。 そういったところでも、 自己実現は必要と言えます。
また、機会があればその辺について書いてみたいと思います。
では、今回はこの辺で、、、 今日も最高の瞬間を味わって生きましょう。
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