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大地のようなこころへ


最近雨の降る日が続いています。

実家では、鹿児島の雨情報がしきりにテレビで流れていました。 雨量などかなり危険になる予想らしいです。 いずれにしても、梅雨という言葉から受ける「そぼ降る雨」という印象からはほど遠いこの頃です。 ちなみに、「そぼ」とは「しょぼ」が変化した言葉だということです。 「しょぼい雨」ということです。 やはりこの頃の雨はしょぼくないです。 このような時節は、外の地水火風のバランスも大きく変わります。 それと合わせて(同じで)、内(身体)の地水火風のバランスも大きく変わります。 重さ、粘着性、冷たさなどのエネルギーが増えています。 そして、動きを司る風(āpoアーポ)のエネルギーが落ちています。 身体が重く感じるでしょうし、淀んだ感じになるでしょうし、冷たくなるでしょう。 そして、行動に活発さが欠けるでしょう。 地水火風は外(自然)も内(身体)も同じです。 身体(地水火風)の状態(バランス)によって、私たちの nāma(受想行識)も変わっていきます。

その辺観察してみるとおもしろいです。 ブッダの教えの通りです。 因果法則、縁起ですね。 ちなみに、人間関係も因果法則、縁起です。 人間の悩みのほとんどは「人間関係」です。 統計データ的にもそうなっているようです。 「私」という生命には、「私以外」という無数の生命が関わっています。 身近なところでは、夫、妻、子、父母、親族、友人、職場の同僚・上司、ご近所さんなどなど、、、がそうですね。 そればかりではなく、鳥、豚、牛、魚、貝などといった生命とも頻繁に関わっています。 まさしく、彼らの命(肉体)を食べているわけですから。 野菜、果物もそうです。 また、最近では犬、猫等のペットも頻繁に関わってきています。 食用ではありませんが、「癒し」の効用となっているようです。 しかし、犬、猫たちにとっては、きっとストレスでしょう。 このように、「私」という生命は独りで生きることは不可能です。 どうしても、「私以外」との関係性が生じるような仕組み(枠・システム)に生きているわけです。 それは、「依存」と言えるわけです。 ということは、完全に自由になることは、このような仕組み上成立しません。 私たちはこの仕組みの僕(しもべ)みたいなものです。 だから、人間関係で苦悩するのです。 しかし、ブッダは「完全なる自由への道」を説かれています。 つまり、生命が「依存」せざるを得ない仕組みから、脱出する道・方法を説かれています。

その一つが Mettā(メッター慈心)を育てることです。 「慈しみの心」というと、何か素晴らしいもの、善なるもの、優しさにあふれたもの、愛にあふれたもの、などというように漠然としたものとして、理解するのではないかと思います。

しかし、ブッダは Mettā について明確に説かれています。 具体的には、慈(Mettā)・悲(karuṇā)・喜(muditā)・捨(upekkhā)の四つのことを言います。

これら四法のことを仏教語で「四梵住(しぼんじゅう)」と呼んでいます。 原語であるパーリ語では、Brahmavihāra(ブラフマヴィハーラ)です。

意味するところは、最勝のものを具(そな)える法。心に宿る最勝の法。清浄で最勝の行為の原理。 最勝は最も勝(すぐ)れているということです。 心の原理として具え、行為を指揮すべき法で、これにより汚点のない生き方をして、一切の人・衆生(生命)に対して正しい実践ができる。という解説があります。 梵は神々の中でも最高位に属する梵天のことで、そのような梵天のような心を具える(住する)、というもの。 また、ブラフマとはインドにおいて最高神のことであり、そのような神にも匹敵する心を具える、というものでもあります。 慈(Mettā)・悲(karuṇā)・喜(muditā)・捨(upekkhā)がそのような心であるということです。 インドで絶対神とされたブラフマと同等な心だよ、とブッダは喩えられたのですね。 しかし、当然ですが、そのような心は私たちには芽吹いていません。 あまりにもスケールが大きくて、私たちには想像だにできないでしょう。 だからこそ、育ててみるわけです。 梵天と同等のスケールの心とは、絶対神ブラフマと同等のスケールの心とはどのようなものだろう。 そのような心を育ててみよう。と。 そして、それは可能だということです。 そのようにブッダは教えてくれています。 「チャレンジしてみなさい」 「アドベンチャー(冒険)してみなさい」 とおっしゃっているのだと思います。 このようなスケールの大きさの心、それを「無量心」appamaññā(アッパマンニャー)と言います。 量ることができないほどのスケールということです。 このような無量な心とはどのようなものでしょう。 ブッダは様々な喩えで説かれています。 その中のひとつをご紹介します。

「比丘たちよ、たとえば、人が鋤(すき)と籠(かご)を持って、やって来るとします。このように、彼は言うとします。「私は、この広い大地を、破壊してやろう!』と。彼は次から次へと掘り返し、次から次へと撒き散らし、次から次へと唾を吐き、次から次へと尿をかけ『おまえは、破壊されろ!お前は破壊されろ!』と。比丘たちよ、それについて、どう思いますか。はたして、その人は、この広い土地を、破壊してしまうのでしょうか」(『Kakacūpama-sutta 鋸喩経』) このようにブッダは説かれています。

さて、どうですか。 広大な土地は掘り返され、撒き散らされ、唾を吐かれ、尿をかけられ、それで破壊されるでしょうか。 そのようなことはありません。 ましてや、大地は仕返しすることもありません。 それどころか、全ての生命に絶対欠かせない命の糧を、何もなかったかのように与え続けます。 無量心、慈悲喜捨とはこのような心のことだと言うのです。 そして、このような無量の心を、私たちは育てることが可能だとブッダは説かれます。 可能だと説かれるばかりでなく、そうしなさいと推薦されるのです。 なぜなら、全ての生命との関わり(ネットワーク)を持って生きざるを得ない「私」という生命を守ってくれるからです。 生命という世界の中で「私」が最高に幸福になるためだからです。 慈悲喜捨の心、「四梵住」を育てる方法は、慈悲の瞑想です。 Mettā-bhāvanā(メッターバーワナー)です。 ご存知だと思います。 慈悲の実践のフルーバージョンがあります。 その実践方法、そして、慈悲喜捨についての詳細な解説をスマナサーラ長老がして下さっています。 より深く Mettā を理解できると思います。

無量なほど広大な心に心を向けること、念じること、それが鍵となります。 スマナサーラ長老指導の動画(FB)はこちらになります。 これは、是非ご視聴して下さい。

「慈悲の瞑想フルバージョン」版テキストはこちらです。

Mettā(慈悲喜捨)は、ブッダの説かれた、唯一ブッダだけの発見であり、他の宗教には絶対にない、この生命で絶対不幸になることのない教えです。 「人生における本物の奇跡とは、Mettā です」とスマナサーラ長老がおっしゃっています。 Mettā に心が変わっていけば、人生は奇跡的に変わっていきます。 

三宝のご加護がありますように。 すべての祝福がありますように。


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