知りたい人たち
こんにちは。 自由自在な人生エバンジェリスト ムサシコジローです。
ときどき散歩をします。 小さな梅の白い花や、 紅い花が咲いています。 そんな小さな花から、 得も言われぬ香りが、 明確に流れてくるのです。 その香りに瞑想する。 その小さな花びらに瞑想する。 その瞬間次元は転移する。 神の御国へ、エデンの園へ、 高天原と呼ばれる次元へ転移する。 ただそれだけ。
それがすべて。 散歩をするたびにそう思います。 では、biブログ贈りますね。
今回は、、
「知りたい人たち」
というテーマで書いてみます。
↓ ↓ 知識を手に入れてどうなるのだろう。 多くの人が知識の蒐集家に終わっている。
何万という骨董品を買い集め、 それを暗い倉の中に閉じ込める蒐集家と同じだ。 ただのコレクター。 知識の蒐集家も同じ。 ただのコレクター。 そういう人たちは、 あちこち徘徊する。 新しいものがないか、 もっと価値あるものがないか、、。 掘り出し物がないか。
そのためには、どこにでも出向く。 そこに終着駅はない。
でも、そもそもなぜ知識を手に入れたいのか? コレクトのためなのか、 それとも人に見せたいのか。 自慢したいのか。 でも、いずれにしても満足することはない。 一瞬の満足“感”は手に入るだろう。 しかし、あなたは“満足”にはならない。。
ちなみに真の“満足”は、 “知足”から現れる。 もうすでに、あなたは今この瞬間足りている。 すべてに満たされている。 だから、何を欲しようとするのか。 それが知足。 知足とはエゴ(自我)を超えることでもあるし、 エゴという“苦”からの解放でもある。 知足は“知性”につながる。 知性は私たちの心を構成するひとつ。 そしてそれは純性な場所。 思考、自我を超えたところにある。 知性があなたをすべての“苦”から解放し、 真の幸福へ導いてくれるものだ。
あなたは“知足”という“知性”に気づくべきだ。 知性は知識とは違う。 もっとあなたの根本的なもの、 神聖な界層にそれは在る。 その知性につながった時、 本当の意味であなたの知識の働く場が見つかる。 暗い倉の扉が開くのだ。 あなたの知識という蒐集物を囲っていた、 重い扉が開くのだ。 扉が開けば光は入る。 光は常にあった。 あなたの知識がやっと光輝く。 あなたの知識がやっと働ける。 知識に向かうのではなく、 知性に戻ろう。 “知りたい人”から、 知性の存在にシフトしよう。 あなたの心の作用が、 知性に傾いた時、 あなたは“真の満足”とつながる。 そうなった時、あなたの知識への徘徊は止む。 なぜなら、あなたの中にしか知性はないからだ。 外に知性はない。 では、どうしたら“知性”につながるのだろう。 方法はひとつしかない。 それは、散乱する心、徘徊する心を静めることだ。 そのためにはコレクターの目を捨てること。 蒐集という所有欲を捨てること。 外側に向ける目を捨てること。 目をキョロキョロさせないこと。 耳をダンボにしないこと。 あなたの感覚器官をすべて、 あなたの内側に向けること。 そうすることであなたの心は外向きから、 内向きに変わる。 あなたは外側に囚われることや、 振り回されることがなくなる。 あなたの心は静かになる。 穏やかになる。 あなたは徘徊しなくなる。 すべてがあなたの中に“在る”ことに気づく。 知りたい人から、 知性そのものにあなたは変容する。
では、今回はこの辺で、、、
今日もこの瞬間を味わいましょう。 あなたの知性とつながる道 ⇒こちら